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経営ブログ

2024.01.10

沖野教郎先生を追悼して

監査役 古川 正志

 私の恩師である沖野教郎北大及び京大名誉教授が昨年の12月9日にご逝去されました。沖野教郎先生は、京都大学工学部精密工学科助手を経られ、1967年から20年間北大工学部精密工学科教授に在籍し、その後京都大学大学院工学研究科応用システム科学教室の教授として母校に戻られました。私は昭1967年に北大に入学しで1970年春に沖野研究室に配属されて以来、ご指導を受けてきました。
 沖野教郎先生の大きな功績はTIPS-1と名付けられた「3次元CADシステム」を世界に先駆けて開発したことです。TIPS-1は1973年にブタペストで開催された国際会議「PROLAMAT'73」で発表され、そのアイディアは偶然にも同じ会議で発表された英国Cambridge大学のBUILDと共に世界初の創生型ソリッドCADモデルとして世界の脚光を一躍浴びたのです。まさにこの会議はその後の3次元CADシステム開発の鏑矢となり、現在まで繋がっています。
 CADの歴史はIvan Sutherland博士が1963年に博士論文の一部として発表された「Scketchpad」に始まりますが、それまでの主流は設計制作の2次元図面をコンピュータで作成するのが主流でした。これに対してTIPS-1とBUILDはソリッド(立体)要素を立体構成演算によってビルドアップし、機械の形状モデルを作成する従来にはない画期的な方法論を採用していました。世界は不思議なもので日本の北海道と英国という地球の裏の国の大学が、全くコンタクトもないのに類似した発想で「3次元CADシステム」を開発したことには驚くべきものがありました。二つのシステムはソリッド(立体)要素を立体構成演算によってビルドアップするという思想は同じでしたが、その主な違いとして立体構成演算は北大が集合演算、Cambridge大学はブール演算だったのです。この違いは、北大は立体情報を点群で表現しCambridge大学は面・辺・頂点で保持することから生じていたのですが、立体演算として集合演算もブール演算もほぼ同じ効果があることは誰しも認めるところだったからです。
 私は卒業論文、修士論文と沖野先生のご指導を受け、1973年に旭川工業高等専門学校に赴任いたしました。この1973年に沖野先生の研究会で私たちと同じようなシステムが世界にあったと沖野先生が報告されたのを今でも昨日のように覚えています。1976年春に突然米国コーネル大学に行きTIPS-1の仕事をするように指示され、9月から一年間ニューヨーク州イサカに住むことになりました。丁度、この年は米国建国200年のお祝いの各種行事で賑わっていました。コーネル大学での仕事はコーネル大学の教授がNSF(全米科学財団)のファンドで研究を始めた射出成形CAD/CAMシステムの3次元CADシステムによる形状データベースを作成するというもので、北大のTIPS-1をそのベースに移植することでした。コーネル大学では私はNSF雇用の米国国家公務員の待遇でSocial Security Cardを与えられました。
 TIPS-1は北大のFACOM230-60で開発されていましたが、コーネル大学ではIBM360/168であったため、FORTARN文法の違い、ワードマシンとバイトマシンの違い、IBM計算機使用量の高価なことがあり、当初は悪戦苦闘の連続でした。実際、TIPS-1のデータベースはビット処理と文字処理によって作成される仕組みでしたので、FORTARANでTIPS-1の言語のコンパイラーを作るようなものでした。そのため、仕事の時間は昼食と夕食を除くと朝9時から夜12時までになるという過酷なものでした。コーネル大学で仕事を始めて3ヶ月後くらいに、沖野先生が私を心配されてイサカまで様子をみにわざわざ来てくださりましたが、丁度その頃英語にもなれ仕事も最初の目標の一段落がついた頃で、コーネル大学の教授はニコニコして私と沖野先生をご自宅の夕食へとご招待してくださりました。一応、沖野先生に仕事の進捗状況を説明し、沖野先生は安心なされたようにイサカを立たれていかれました。私が従事した射出成形CAD/CAMシステムの開発は後にCIMP(Cornell Injection Mold Project)システムあるいはC-MOLDとして、射出成形世界で最も知られるシステムとなりました。
このコーネル大学での仕事は私に一つのショックを与えました。それは米国で研究者として仕事をするには博士の学位が絶対必要だと思い知らされたことです。博士を習得するためには面白い研究をやることだけではなく、仕事の区切りには必ず論文としてその仕事を形にすることでした。幸いコーネルでの仕事を基礎にして(株)村田機械と共同研究を行う機会を得ることができ、そこでシートメタルのCAD/CAMシステムの開発を行い、それを基礎に1981年に博士論文を沖野先生の元へ提出することができました。北大で沖野先生の指導を学部4年生の時から受けて博士を授与できた最初の学生となりました。このことは私の誇りともなっています。1981年からは沖野先生の推薦も受け、英国Cambridge大学のCADセンターに仕事に行くことが決まっていたのですが、私を受け入れてくれるRobin Forrest教授が英国ノリッジのイースト・アングリア大学へと移籍しましたので私もノリッジへ一年行くことになりました。Robin Forrest教授はベジェ曲線で有名なPierre Bézier博士のフランス留学中の弟子であり、ここで自由曲線とカラーグラフィックス技術を学ぶことができました。
 沖野先生は北大時代から移籍された京大において、国際的にはCAM-I及びIFIP WG5.7のメンバーとして活躍し、またRobotics Softwareや人工知能の分野において活躍されています。私が北大で沖野先生の後任となられた嘉数侑昇教授の後をついで北大の教授となり数ヶ月後に、私の研究室に沖野先生から電話がありこの電話番号は私が使用していたものと同じじゃないかと嬉しそうに話されたのが昨日のことのようです。博士論文の打ち合わせの時に沖野先生の研究室にセータ腕まくりでお邪魔した時は、「そんな風では風を引くよ。体は大切にしなければ」と言われたこと、同期の研究室の卒業生と京都にお邪魔し京都国際会館のレストランで食事をした際に皆で先生の食事代も払おうとしたのですが、「先生に恥をかかすものではない」と全員の食事代をご馳走されてくださったことを懐かしく思い出します。
 私たちにとっては大きな影響を与え、時代の先端を颯爽とは知られた先生でした。ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。

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