1976年の9月から1年間、コーネル大学工学部機械航空工学科でリサーチアソシエイトとして、NSFに支援を受けた射出成型プロジェクトの一員として働いていました。主な仕事は、射出成型によるプラステックス製品を設計から作成まで一貫した流れでCAD/CAM化する中で、プラステックス金型のデジタルモデルを作成するソフトウェアの開発でした。
コーネル大学で働くようになって間もなく、コーネル大学はフェンシングの全米の拠点として1970年頃からPhysical Educationの大学院の専攻を設置し、そこで多くのフェンシングの専門家を育成していることが分かりました。また、大学内にはフェンシングのクラブ(チーム)もあり、そこで大学院の教員がコーチをしていました。このクラブは、夜は市民にも開放されていて、私のような一般人もレッスンをとってくれました。
幸いに私の働いていた学科の建物はフェンシングが行われている体育館(ジム)と徒歩5分くらいでしたので、毎週1回仕事の合間を抜けて練習に通うようになりました。その時に私のレッスンをとってくれたのが、フェンシング専攻の准教授だったジャック・ピケ先生です。
レッスンは基礎から始まり、すぐに前進・後退を行いながらいわゆる打ち込み(指示に従って相手を突く、あるいは防御する)をするレッスンに変わりました。当初は体力がなく、スピードはテンポが速く軽快なリズムがあり慣れませんでしたが、2~3カ月ほどで体がついていくようになりました。
最近になって日本のフェンシングはオリンピックや世界選手権で好成績を収め、時々スポーツニュースでも報じられるようになりました。そのニュースを見ているうちに当時のジャック・ピケ先生はどのような先生でキャリアなのだろうとふっと思い、調べてみました。以前にもWEBで調べて見たのですが、コーネル大学に教員として働かれていたという情報が出てくるだけで、詳細は不明でした。でも最近の検索はAIモードで調べるとわずかなキーワードでも世界中の情報を調べてくれます。
そこで分かったのは以下のようなことでした。
彼はフランスのパリにある「国立スポーツ体育研究所(INSEP:Institut National du Sport, de l'Expertise et de la Performance)」のフェンシング部門を卒業し、正統な「フェンシング・マスター(Maitre d'armes)」の国家資格を取得している(Jacques Piguet, Fencing Master of the National Institute, Paris(パリ国立研究所のフェンシング・マスター))。パリ国立研究所はフランスが国を挙げてエリート指導者やアスリートを養成する最高峰の機関です。
アメリカの「American Fencing Academy」においては、生徒(卒業生)としてではなく、教官(指導陣)として立ち上げから深く関わる。アメリカン・フェンシング・アカデミー(AFA)とは、1972年にコーネル大学内に設立された、アメリカ史上初の「プロのフェンシング指導者を養成する2年制の全日制専門アカデミー(大学院レベル)」です。フランスの最先端の指導技術を持つピケ氏は、創設者ジャン=ジャック・ジレ氏らと共に、このアカデミーの常任指導スタッフ(Staffed Master)に就任しました。ここで多くのアメリカ人指導者を育成し、アメリカのフェンシング界のレベルを底上げする側に回っていました。
1990年代にはフロリダに移りフェンシングを教えていたことが分かりました。その時の様子が地元の新聞に掲載されていて、その内容は、フェンシングマスターのジャック・ピケ氏が指導風景の中で、フェンシングを「精神と肉体を駆使する、チェスのようなコンプリート・スポーツ」と表現した様子を報じました。記事では、ピケ氏が選手たちに高速な攻防の中で戦略を先読みする重要性を説く姿が描写されています。
分かったことはこれぐらいなのですが、フランスのプロのフェンシングコーチにレッスンをとってもらったことは今も私の人生の大きな財産となっています。私はその3年後に英国イーストアングリア大学に訪問教授(Visiting professor)として1年間働くことになったのですが、その時も大学のクラブに参加させてもらい、フェンシングは仕事の大きな息抜きになりました。

