テレビでは東北地方の大雪のニュースが流れています。青森の酢が湯温泉では4mを超える積雪と報じています。ところで気になる言葉があります。報道レポーターが「雪かき」が大変ですねとインタビューしています。私たちが子供の頃は除雪を「雪はね」と言っていました。おそらくテレビが普及してから北海道に住む人たちも「雪かき」というようになったのかも知れません。北海道育ちの友人にその話をすると「私は雪かきという」というのです。でも一緒に飲んでいると「そろそろ明日の雪はねが大変だから終わりにしよう」との御宣託でした。やはり北海道で育った人間には頭に本能的に「雪はね」が染み付いているのではないでしょうか。少し調べると、北海道では気温が低いため雪が軽いので「雪はね」になったのではないかとありました。
子供の頃の旭川は夜の気温が−20度になることがザラではありませんでした。そんな日の夕方に自宅から500mほど離れたお風呂屋さんに通うと、帰りは必ず髪の毛がガチガチと凍ってしまいました。こんな夜を私たちは「しばれる」と言っていたのですが、この言葉は全国化したかも知れません。「しばれる」は、何かの歌の歌詞にあった「凍れる」という言葉に相当するのかも知れません。
同じように冬の言葉で言えば、私たちは靴、靴下も手袋も「履く」でした。テレビの標準語の普及により今では手袋については「はめる」を使う人が多いようですが、子供の頃の私たちには、親指だけがちょこんとついた楕円形の手袋は「履く」の方が実感があります。
英国の友人からのメールではこの冬は暖冬で植物が季節を勘違いして花を咲かせているものがあると知らせてきました。日本を含めて地球温暖化による気象異常は世界の人が実感していると改めて思いました。気温の分布は偏西風のうねりで極端になると報道されています。英国がうねりの波の北極に迫り出した方にうねっているならばいくつめの波のうねりで北海道は赤道方向にうねっているのだろうなんて考えました。
2025年はテクノウイングにとっても私たちにとっても良い年になることを祈念しています。