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経営ブログ

2021.08.30

フェンシングのマスター

監査役 古川 正志

  今回のオリンピックでフェンシング男子エペが金メダルを獲得しました.これは太田雄貴さんが2008年の北京オリンピックフェンシング男子フルーレ個人で銀メダル,2012年のロンドンオリンピック男子フルーレ団体戦で銀メダルを獲得して以来の快挙です.

以前のブログで「昔とった杵柄」でフェンシングをこの歳で始めたとの話を書きましたが,日本も素晴らしいレベルになったと密かに喜んでいます.

 最近,1976年からコーネル大学で仕事をしていた時の,プロジェクト教授の100歳の祝賀会がオンラインであるとのメールが廻ってきました.オリンピックの話とコーネル大学の話から,何気なく毎週1回水曜日に通っていたフェンシングのマスターを思い出しました.そこでWEBでまだ元気だろうかと調べてみました.

 

 フェンシングのマスターはジャック・ピゲ氏といいます.丁度1976年にコーネル大学の体育学科のディレクターにジーン-ジャック・ジレット氏(当時の全米オリンピックヘッドコーチ)が就任した時で,ピゲ氏は彼の助教授として同時にコーネル大学に呼ばれた時です.コーネル大学の当時のコーネル時報(Cornell Chronicle)によれば,1967年にD'Armes アカデミーで体育教育フェンシングの学士を取得,その後,フランスのいくつかのクラブのマスターを経て,1971年にオクラハマ市YMCAのフェンシングマスター,2年ンゴにバーミング大学のスタッフとなり,1976年からコーネル大学にジーン-ジャック・ジレット氏の補佐としてオリンピックコーチとして呼ばれたのです.

 毎日,朝の9時ごろから夕食時を除いて夜の11時半くらいまで仕事をしていた私には週一回の5時からジャック・ピゲ氏に受けるフェンシングのレッスンは,仕事の格好の息抜きになりました.彼のレッスンは華麗で軽やかで日本で教わったレッスンとは異なりましたがので,最初はついていくのが大変でしたが,3ヶ月ほどでようやくついて行けるようになりました.クラブにはユニバーシアード代表の候補の選手もたくさんいて,時々,剣を合わせてもらいましたが,5本勝負で1本取れるくらいでした.

 ジャック・ピゲ氏はその後米国内を移動されていたようですが,いくつかのWEBのジャック・ピゲ氏の言行を散見することができました.その中で1994年にコロラドスプリングのクラブコーチとしての彼の言葉を少し抜粋します(翻訳はGoogleです).

 

「ダルタニャンと彼の銃士の仲間を忘れてください。ゾロとキャプテンブラッドを消して下さい」 

「それがフェンシングのすべてではありません。それは両足で跳躍したり、テーブルを横切って踊ったり、階段を駆け上がったりするものではありません。実際のフェンシングは、ミンチシャッフルやラピッドランジのように見えます。各ラウンドはおそらく2分続きます」 

「冒険活劇の代わりに、フェンシングのファンは彼らのスポーツに別の種類のアナロジーを描きます。彼らはそれを物理的な形のチェスと同一視します」 

「それは時速100マイルで行われるチェスのゲームのようなものです」「それは肉体的に非常に厳しいスポーツです」

 

 これらからフェンシングはカッコいいスポーツではなく,強靭な肉体と頭脳を必要とするスポーツであることが分かります.

 ジャック・ピゲ氏に出会ったのは彼が29歳のとき,私が27歳の時でした.今もご健在であるならば75歳です.コーネル大学で彼に出会えたことは私の心の片隅の大事な宝です.今は,彼に教わったレッスンを私なりにアレンジして旭川のクラブで子供達に教えています.

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