デジャブという言葉があります。長い間、私はこの意味「一度どこかで見たことのある風景に再度出会う、一度聞いたことがある言葉を再度聞く」くらいに受け取っていました。気になったので調べてみると、その意味は既視感でこれは風景なり言葉を初めて見たり聞いたりするのですが、以前に一度経験したことがあると錯覚することだそうです。
私の間違った意味でのデジャブをテレビの情報番組で経験しました。きっかけは中国の浙江大学OBのベンチャー企業Deep Seekが今年1月に発表した生成AIです。この生成AIの出現でアメリカの半導体メーカであるNVIDIAの株の価値は時価総額にして約5900億ドル(約91兆円)が失われたと報道されました。
多くのニュース番組や情報番組がDeep Seekを取り上げ、AIの専門家が解説や意見を述べていました。この中で私が間違った意味でのデジャブが起こったのです。
一つは「サム・アルトマンの話では、AIの発展によって私たちの仕事がなくなるのではないか?」の問いに対して、出演者が「AIの発展は人間をより知的で人間らしい高度な仕事に移行していく」と答えたことです。もう一つは、番組に出演した専門家が「ノーベル賞を受賞したジェフリー・E・ヒントン教授は、人間ができる仕事はほとんどAIが行えるようになると話している」語ったことです。
前者のデジャブは私が1975年頃に出席した生産システム関連の国際学会でM・E・マーチャント博士の講演で聞いた言葉です。マーチャント博士は最新の生産システムの動向として「数値制御工作機械(NC機械)がますます発展し、生産現場に普及する」との予測を講演されました。NC機械とはコンピュータに制御された工作機械です。一度プログラムを作って仕舞えば、ほとんど人手を介さずに機械部品を製作します。これに対して「それでは現在の工場で働く労働者は失業してしまうのではないか?」との質問がありました。マーチャント博士はこの質問に対して「今、工場で働いている労働者はより人間的で創造性のある知的な仕事に就くことができるようになる」と答えていました。これが一つ目のデジャブです。
もう一つのデジャブは私の恩師である元北海道大学・元京都大学の沖野教郎教授の言葉です。1969年に私たちは沖野研究室に配属されました。沖野教授は当時自動設計を研究テーマとして掲げており、私たちは自動という言葉に魅せられてこの研究室を希望しました。研究室に配属されてまもなく沖野教授は研究室の目的を「人間ができる機械の設計を機械(コンピュータ)に行わさせることが私たちの目標です」と話されました。ノーベル賞を受賞したヒントン教授と同じことを55年ほど前に私たちの研究室は目標としたのです。しかし、当時のコンピュータの能力は腕時計に内蔵されているコンピュータよりも劣るものでした。そのため、自動設計の最初の目標は設計された機械の情報を3次元情報としてデジタル化し、その情報を加工することにより設計に必要な情報(例えば、強度の計算、金型の流体の流れ、先のNC機械によるプログラムの自動化、機械図面の自動生成)を生成することでした。こうして生まれたのが世界で初めての3次元CADシステムだったのです。
私の間違ったデジャブ感では歴史は繰り返すという言葉も思い出しました。人は時代のエポックにおいてデジャブのようなことを発想するのに少し驚きを感じました。
(サム・アルトマン氏とジェフリー・E・ヒントン教授の言葉はあくまでテレビからの伝聞で実際にそう語ったかのファクト・チェックはしていません。)